2022/05/17
【台湾の舞踏年鑑に記事が掲載されました】
この度、貴重な機会を頂きまして今年台湾で出版される【舞踏年鑑】に私の書いた記事を掲載して頂けることになりました。
記事のテーマは【舞踏の女性性について】。
2022年4月に台北で開催されたASIA BUTOH FORUM 2022に参加させて頂いたことから、この度のご縁に繋がりました。
感謝致します。
台湾での出版ですから、日本語ではないと思いますので
日本語の原文の記事は、このblogに掲載します。
ぜひ、お読み頂けましたら嬉しいです。
後日、英訳の記事も掲載いたします。



【舞踏の女性性について】 大倉摩矢子
◆舞踏する体
ある日、私の舞踏を観た批評家の方から「ルーカス・クラナハの絵画の女性に似ている」と言葉を頂いたことがあります。ドイツのルネサンス期の画家ルーカス・クラナハは16世紀初頭に活躍した画家です。彼は宗教改革の立役者でもあり、彼の描く女性像は他のヨーロッパ絵画に比べて控えめな表情をしているものが多いです。肉感的な体つきではなく、少女のような体つきは私自身と似ています。
実は、私は舞踏のZONEに入っていくとき、特定の人物や実体を表現しようとはしていませんし、具現化しようともしていません。ただ、自らの肉体の内奥に降りて行き、そこから湧き上がる感覚に委ねようとします。ここにいる、存在しているというだけなのです。私をある人は老婆に、ある人は少年に、ある人は鳥に、ある人はルーカス・クラナハの女性像のように観えたと、多くの言葉や批評を頂きますが、それは、それぞれの人が私の舞踏を通じて、その人の内に息づく生命の存在を映し出した結果なのです。
変幻自在に様々な生命の存在になることのできる舞踏体。その舞踏体の内奥にある深淵は、あらゆる生命を産み出す女性、母性のようだと思います。
◆一般的な女性像について、舞踏と日常の中で
その一方で、女性らしさ、つまり一般的な女性像や母性とされるものに関して、私の感覚は必ずしも女性的ではありません。私は普段の生活でも、舞踏のパフォーマンスでも、女性らしさを表現することを敢えて避けてきました。しかし、私の舞踏の師匠である大森政秀先生から「成熟し、踊りを深めるためには、自分にとって苦手な女性らしさも稽古するとよい。」とご指摘を受け、そのための稽古も受けました。
また日常では、私はヨガの先生として、生徒さんに健康で美しい体型を保つことを指導しているので、お化粧をしたり、女性らしく振舞うように心掛けています。
◆受容
もう一つの女性らしさとは、象徴的な意味で「受け入れる」ということです。
私は、主流のものや規則に対して反骨精神で育ってきました。その性格が私を舞踏家にしました。この感覚は、私の舞踏、稽古、そして人生構築のモチベーションの核となる精神でした。しかし、私の人生の中で、それは大きく変化しています。夫と結婚してからは、独身時代のように好き勝手や反骨精神だけでは通らなくなりました。その他にも様々な要因や環境が影響して、多くのものを受け入れていかねばなりません。それは苦しい時、辛い時もあります。その苦しさと制約の中で、自分はどのように生きていきたいのか、運命とは、自由とは何なのか。今までよりも制約されることで強く意識するようになりました。
するとある日、人生の中で、親や先祖への感謝が増してきて、この宇宙の中心、目に見えない存在、神を感じる感覚がありました。私は恩恵を受けて生かされ、今ここで舞踏を踊らせて頂いているのは、父母や先祖の祈りでもあるという感覚になりました。自分個人の意図を超え、この運命を受け入れて生きていこうと思えたのです。
ある日の稽古で、このような宇宙の感覚を深く感じ、一体となって踊っていたとき、私の舞踏を見た直後に師匠から「今の踊りはとても良かった。あなた自身の存在の根拠に立って踊っていた。」と言葉を頂きました。この受容こそが、ようやく今、私がその入り口に立つことができた世界であり、これからの人生と舞踏を懸けて、私が到達したい境地なのです。
大倉摩矢子公式WEB
http://mayakoookura.com
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